<チャンネルガイド2020年10月号に
掲載した内容です>

2020年9月23日

宣長先生にならう

 ≪宣長先生にならう≫
 コロナ禍で多くの人々が遠方への外出を自粛する今秋、本居宣長記念館への小学校見学が増えています。
 宣長というと“日本最古の歴史書『古事記』を半生かけて研究解読し、「国学」という新たな学問を大成した”と歴史の教科書では出てきます。けれど、それだけじゃ、何だかよくわかりませんよね。
 ここでは、秋の企画展「宣長先生にならう」で紹介している、シンプルながらも経験に裏付けされた「宣長の考え方」の一端をご紹介します。

 ≪自由な学問≫
 宣長は漢方医になるため、23歳から5年半、京の儒学者・堀景山のもとで勉強します。そんな医学修業中、友人から「先生が教えてくれることだけ、勉強しろよ」と注意されたようです。儒学以外にも、多くのものに興味を示し過ぎる宣長は、真面目な友人の目には不真面目に映ったのでしょう。しかし宣長は友人に「私の学問は、“好信楽”だ。先生が教えてくれることだけじゃない。この世のすべてのもの、好きなもの興味あるものは、全部調べるよ」と答えました。私の学問に束縛はない――忖度も功利的な考え方もない、なんとも宣長らしい一言です。

 ≪知恵の限界≫
 宣長はよく、人間の知恵の限界を口にします。理解の及ばないことにも無理やり説明付け、何でもわかったような気になっているのはおかしい、といいます。静岡県の門人・栗田土満への回答の中に、「不思議を信ぜざるは漢心也、又みだりに信ずるは愚昧也」という言葉があります。宣長が「不思議(理解の及ばないこと)」をどのように見ていたのか、端的に表した言葉です。
 そんな宣長の著書『古事記伝』には、「未だ思ひ得ず(考えてみたけれど、わからなかったよ)」という言葉が度々出てきます。古典を研究する上で数百年、千年というスパンで物事を見ていた人ですから、自分の時代ではこれが限界だったけれど、何百年後には…と想像していたのかもしれません。晩年になっても、このスタイルは変わらなかったようです。
 知恵の限界をつぶやきながらも、宣長にとって、学問の未来は明るいものでした。

 学問に真摯に向き合い続けた宣長が亡くなったのは、1801年9月29日(享年72歳)、現在の暦では11月5日でした。行楽の秋を迎える今、ぜひ、山室山の奥墓へお参り下さい。

             文 西山 杏奈学芸員(本居宣長記念館)

本居宣長六十一歳自画自賛像/宣長筆・寛政二年(1790年)

秋の企画展「宣長先生にならう」
期間/12月6日(日)まで ※月曜休館(祝日の場合は翌日)
場所/本居宣長記念館(松阪市殿町1536-7)
電話/0598-21-0312